育児中、何もできない自分に落ち込んでしまったら。

2015年05月07日
スポンサーリンク
Pocket

わたし自身の産後の体験なのですが、家事や育児をする中で、「自分は何もできない(できていない)」と落ち込むことが多かったです。

赤ちゃんの世話に追われて家事なんてする時間も気力もない。
キッチンには洗い物があふれ、洗濯機の前には汚れ物の山が今にも崩れそう。
かといって肝心の育児だってちゃんと出来ている自信がない。
泣いてるわが子を泣き止ますことが出来ずにダメだダメだと途方にくれる日々。

娘が2歳になった今もそんな気持ちになってしまうことがありますが、以前よりは少しだけうまく対処できるようになったかなと感じます。(昔より手がかからなくなったことも大きいですけどね!)

本日はそんなわたしの体験をふまえて、育児中に何もできない自分に落ち込んでしまったときにはどうすればいいかということをご紹介していきたいと思います。

目次:
「何もできない(できていない)」気持ちの根底にある白黒思考
完璧主義が自信をどんどん奪っていく
“出来る” ことに目を向けるには?
他人に “見せる” ための育児はしなくていい 〜他者の承認を求めて「良い母親」になろうとしない〜

「何もできない(できていない)」気持ちの根底にある白黒思考

たとえば物事の達成度が0から100まであったとして、60くらいまで到達して「わりとできたな」と考えられる人もいれば、99まで到達しても「だめだ、できなかった」と落ち込む人もいます。
育児に関係なく、何事にも「自分は何もできない(できていない)」と思ってしまう人は、この「99まで到達してもできなかったと落ち込んでしまう」タイプなのかもしれません。

このような人にとっては、100以外の数字には何の意味もないんですよね。
たとえ99まで出来たとしても、100じゃなかったら意味が無い、それは0と同じだと考えてしまう。
「全部出来た」か「何も出来なかった」かの2択しかない。“白” か “黒” かしかないのです。

完璧主義が自信をどんどん奪っていく

前章のような白か黒で判断してしまう思考の癖がある人は、何事も完璧でなければならないと考える完璧主義になりやすいです。わたしもそうです。

完璧主義の人は、どれだけ努力し、たとえそれがそれなりに上手くいっても、常に「不十分だ」「改善の余地がある」と考えます。
仕事や生活をする上でそれらの考えが原動力となっている場合もあるでしょう。

しかし実際には「完璧」なんて存在しないことが多い。育児ならなおさらです。
育児に関しては何を以って「完璧」とするかを定めるのは非常に難しい。
つまり、「完璧という幻想」に向かって突っ走っている状態なんですね。
これではいくら突っ走っても完璧に到達することはできません。

すると、「完璧に出来ない自分」に対してひどく失望し、落ち込むようになります。
その状態が続くと、やがて「自分は母親に向いていないのだ、端から無理なのだ」と考えるようになることもあります。はい、わたしです。

自分がどれだけ完璧であるかによって自己を判断する(それが自分自身の価値だと思い込む)ので、思い通りにならない “育児” というものを目の前にして、自分に対してどんどん自信をなくしてしまうんですね。

“出来る” ことに目を向けるには?

自分に対して「何もできない(できていない)」と落ち込むことはあれど、実際に「何もできない(できていない)」なんてことはほぼありません。
1章で述べた達成度の話で考えると、100ばかりに目がいって1〜99を見過ごしているだけなんですね。
だったらその1〜99をちゃんと拾い上げてあげればいい。

とはいっても一朝一夕にはできないかもしれません。
今自分が持っている思考は長年繰り返し繰り返し使うことによってがっちり定着してしまったものなので、それを変えるにはやはり少し時間が必要です。
しかしながら、「自分は今こんな思考に陥っていて、それが苦しく感じているのだな」と気づく事こそが大きな一歩であり、そのあとはそれを反復して染み込ませるというだけのことです。

今日、赤ちゃんにミルクをあげた。
赤ちゃんを寝かしつけた。

それだけで “充分できている” んですよ。

前章で、「育児に関しては何を以って「完璧」とするかを定めるのは非常に難しい」と述べましたが、今のわたしは、「ちゃんと生きていればそれでいいじゃない」って思うようにしています。

以前書いた、育児や家事に追われて「何もかも面倒くさい。何もしたくない。」と感じてしまったら という記事にもこんなことを書いています。

いっぱいいっぱいになってしまっている自分に気づいたとき(わたしの場合は “夕飯の献立が何も考えられなくなったとき”)には、「今日は娘にご飯を食べさせて(レトルトでも)とりあえず寝かせることだけできれば上出来としよう。」と思うことにしています。

もちろん子どもの具合が悪いときにはその他のケアも必要ですが、そうでないなら、たとえば一日ぐらいお風呂をパスしたところで病気になったりはしないし、少しくらい家事が滞ったって誰も死にゃしないのです。

山のように積まれた洗い物を見てわたしが思うことは、「もし腐ったら捨てればいいや。」です。

以前なら「何もかも完璧にこなしてやる!」と考えていたわたしですが、ここまで “完璧主義の皮” を脱ぐことができました。

そのためには、
・日々自分の「できたこと」をちゃんと拾い上げてあげること
・育児に完璧など存在しないことを理解すること
・完璧にこなすことイコール自分の価値だと思わないこと
・他者の承認を求めて「良い母親」になろうとしないこと
の考えを自分のなかに地道に浸透させていくことが大切です。

一日一個、「出来たこと」をノートに書いていくとか、なんでもいいんです。
4番目の「他者の承認を求めて「良い母親」になろうとしないこと」については次の章に詳しく書きます。

他人に “見せる” ための育児はしなくていい 〜他者の承認を求めて「良い母親」になろうとしない〜

育児に完璧を求める人の中には、“他者からの承認” を求めている場合もあります。
夫、両親、親戚、友達、通りすがりの人にまでも、「ダメな母親と思われたくない」「しっかりした母親だと思われたい」と考えます。

これはわたしの場合なのですが、子どもが出来たときに自分の母親に「あんたなんかに育てられんの?」というようなことを言われたのがすごく嫌で、子どもが産まれてからもその言葉に取り憑かれて「見返してやりたい!」と考えていた時期が一時期ありました。

でもそれって何の意味もない。他人のために子育てしてるわけじゃないですもんね。
そして何よりそんな動機で育児を頑張るのは苦しい。
自分がいくら頑張ったって他人が承認してくれなければそこで終わり。
そうすると、「なんでわたしを認めてくれないの?こんなに頑張っているのに!」と承認欲求のお化けがでてきてしまう。

だから「他人に見せるための育児だったらそんなのしなくていい」です。
周りから「ダメな母親」だとか「子どもが可哀相」だとか、中には意地悪でそんなことを言ってくる人だっているんですから、その人たちのために育児をする必要なんかないですよね。

目の前にいる子どもが、健康でいるかどうか、笑っているかどうか、それだけを考えればいいんですよね本当は。

以上、育児中に何もできない自分に落ち込んでしまったときにはどうすればいいかということについてご紹介しました。
「何もできない(できていない)」というのはほとんどの場合、幻想です。
その奥にある自分の考え方の癖を理解することで解決の糸口が見えてくるかと思い、このような記事を書いてみました。
参考になれば幸いです。

Pocket

スポンサーリンク

You may also like...

2 Responses

  1. ひろこ より:

    素敵な記事を書いてくれてありがとうございます。
    元気の無い時には何度も読みに来ています。

    • hanako より:

      ひろこさん、コメントありがとうございます!
      何度も読んでいただいているなんて、とてもうれしいです(^^)ありがとうございます!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。