育児ノイローゼに陥った私がそこから立ち直ったたったひとつの出来事

2015年05月08日
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以前、自分の運営するブログにこんな記事を書きました。
小さなガッツ石松を産んだ話。- はなこのブログ。

ここにあるように、わたしは娘が0歳の頃、彼女のことを可愛いと思えずに怖いと思ったり、疎ましく思ったり、とても健全とは言えないような精神状態、いわゆる育児ノイローゼのような状態で日々育児に臨んでいました。

今でもそうですが、たとえばテレビなどで虐待のニュースが流れると、ひどいなとは思いつつも、どうしてもそれが他人事とは思えないのです。
肉体的にも精神的にも極限まで追い詰められたとき、「子どもなんて産まなければよかった」「こんな子いなくなってしまえばいいのに」と思ったことが何度もあります。
そのたびに、こんなに愛しいわが子にそんな感情を抱くなんて、わたしはダメな母親だし、人を育てる資格なんてないんだろう、なんて悲観的になって、子どもに「こんなママでごめんねごめんね」と泣きながら謝ったりもしていました。

そんなわたしの精神状態も、娘が1歳になる頃にはだいぶ落ち着いていました。
あんなにも育児ノイローゼに苦しんでいたわたしは、なぜ、立ち直ることができたのでしょうか。

きっかけは保育園入園

わたしは娘が0歳11か月のとき、ちょうど4月のタイミングで保育園に入園させ、仕事に復帰しました。
これこそが、わたしが育児ノイローゼから立ち直ることが出来たたったひとつの、劇的な出来事だったのです。

子どもをあまりよく知らない相手に預けるというのは少し不安もありました。
娘自身も最初の2週間ぐらいは別れ際に叫び泣くような状態でしたし。
持ち前の不安症で、「この先生とは合わないのでは?」「ちゃんと見てもらえてないのでは?」などと悶々することもありました。最初はね。

しかし、そんな不安も吹っ飛ぶくらいの感動がわたしを待っていたんです。

空は青く!心地よい風が通り過ぎ!道端には花が咲き!その周りには蝶たちが舞っている!!

そんな周りの風景を、当たり前のように目の前にあるこの風景を、こうやってゆっくりと眺めることができるのは一体いつぶりだろうと心が震えました。
もちろん、赤ちゃんが居たってそれらを楽しむことはできますが、わたしにはその余裕がなかったんですね。

『泣いたらどうしよう』
娘と一緒に外出するときには常にこのことが頭から離れませんでした。
そのため “一人で歩く”というたったそれだけのことが、わたしにこの上ない解放感をもたらしてくれたのです。

だってだって、電車の中で寝たっていいんですよ!
子がいつ泣くかいつ泣くかとビクビクしたり、隣の人に子が蹴りを入れてすいませんすいませんと謝らなくったっていいんですよ!

わたしが働いていた職場はママさんが多くて子育てに理解のあるところだったということもあり、仕事自体も大変というよりはいい気分転換になりました。
だって日本語が通じる大人が相手なんですもの!しかもお金もらえるし!

心配だった娘の保育園生活の方も、2週間を過ぎたあたりから徐々に先生たちに慣れはじめ、わたしの方も段々と先生たちの人柄を知っていくことで安心することができました。
現在はもう保育園に通いだして3年目になりますが、仲の良い友達もたくさんできて、給食もモリモリ食べ、元気よく遊んでいるようです。
進級で先生が変わる時期には泣きますが。(今ちょうどその時期)

そして仕事にも慣れ、生活のペースがつかめてくると、今度は娘との関わり方についても考えることができるようになりました。
今までの自分のやり方を振り返り、「何が自分を苦しめていたのか」を客観的に見て知ることができました。(ママのココロカテゴリでその辺の話をいろいろ書いてます)
そしてだんだんと、その「自分を苦しめていたもの」を手放していくことに成功していったのです。(今もまだ残骸が残っているのでたまに苦しくなりますけど)

子どもと離れる時間を持つということ

わたしが今思うのは、もし育児に対してもうどうにもならないような苦しさを感じたとき、それを解消するにはまず、「子どもと離れる時間を持つ」ということが大切なのではないかということです。
そうすることで、自分が感じている不安、苦しみ、そして愛情を、客観的に見て確かめることができると思うのです。
それが子どもとしっかり関わっていくための第一歩なのではないでしょうか。

前章ではわたしが仕事復帰のために保育園に入園するというケースを紹介しましたが、仕事をしていない場合でも同様に、頼れる身内がいればその人に預けたり、保育園や自治体の一時保育を利用したりするのがいいと思います。

ただ預ける際にひとつ重要なのが、「定期的に、罪悪感なく預けられること」だと思うのです。
というのも、わたしは娘が0歳のときから両親の家が近かったので、用事があるときなどにたまに預かってもらうことはあったのです。
しかしそれはわたしにとって、「一時的に、罪悪感たっぷりで預ける」行為であったため、気分転換としての効果は薄く、育児ノイローゼを解消するという意味では全くだめだったという経緯があります。(1日預けられるだけでもありがたいですけどね)

一時的に預けるだけだと、その日は少し気分転換になるかもしれませんが、翌日からはまた元の生活に戻るのでそれだけでノイローゼの解消にはなりません。
たとえば週1回、定期的に一時保育に預けることにしよう、と決めれば、それだけで生活の組み立てが少しだけ楽になります。
預けている時間は、外出の用事を済ませてもいいし、家事をまとめて片付けてもいいし、ひたすら寝まくるのもありです。
ただそれを「一時的に(1回だけ)」ではなく、「定期的に」生活に組み込むことが大事だと思うのです。
それによって生活のペースが掴めてくれば、いずれ、子どもとの接し方についても客観的に見る余裕が生まれてきます。

またその際に、「罪悪感なく」預けることができるという条件も非常に重要だと思います。
「預けるなんて子どもが可哀相」とか、「預け先の人に気を使う」などと思っていては、気持ちが全く休まりません。
ただしそれは、さきほど言った「定期的に預ける」ことをすればある程度解消できることかなと思います。

子どもを預けるとき、その子の性格にもよりますが、最初はとてもとても泣きます。
それを見てしまうとついつい「大丈夫だろうか」「やっぱり可哀相かもしれない」と感じてしまいます。
でもそれも要は“慣れ”です。
定期的に預けていれば、子どもも親も、もちろん預け先の人も、徐々に慣れることができるので、最初に感じる不安は割りと時間が解決してくれます。

そもそも預ける目的が「休むこと」だったとしても、罪悪感を感じる必要はないんです。
保育先から帰ってきた子どもに、「ありがとう、大好きだよ」と笑顔で言うことができるなら、その方がよっぽど健全だし大事なことだと思うんですよね。
四六時中一緒にいたって母親の顔が鬱々としていたら子どもも不安になっちゃいますもんね。

ちなみに子どもを預けて働くことについて、自分のブログでこんなことも書いています。
共働きが良いか悪いかじゃなくて、自分が笑ってられるかどうかを大事にしたい – はなこのブログ。

「子どものためになるかどうか」よりも、「自分が笑っていられるかどうか」を基準にして物事を考えると育児に関する選択が楽になります。
母親(父親)が笑ってるって、子どもにとっても重要な要素だと思うしね。

そのひとつとして、苦しいなーってときに子どもと少し離れてみる、ということも、選択肢のひとつとして入れてみてほしいなーと思いこんな記事を書いてみました。
一時保育とかってお金がかかりますけど、子ども手当の給付金もあることだし、この大変な時期くらいはそれをその費用に当てちゃってもいいと思いますしね。

頑張ったり我慢したりするとどんどん苦しくなるばかりなので、どうか頑張りすぎないでくださいね!

赤ちゃんと二人きりが怖い…
「赤ちゃんと二人きりになるのが怖い」という気持ちになってしまったら【前編】
「赤ちゃんと二人きりになるのが怖い」という気持ちになってしまったら【後編】

その他関連リンク
育児や家事に追われて「何もかも面倒くさい。何もしたくない。」と感じてしまったら
育児中、何もできない自分に落ち込んでしまったら。

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